about

スタジオ・セブンハウスの歴史

アーケードゲーム時代

1986年、専門学生時代に株式会社UPLにプログラマーとして入社、もともと高校生時代からPC-88一人でゲーム制作していた事もあり、会社にゲームの企画書を出して、企画者としてもゲーム開発を始めることができました。

当時UPLにはコンシューマの開発はやっておらず、アーケードゲームの移植を社外に任せていたのですが、プログラムがわかるという事で、社外のゲーム開発の制作進行などもやる事に

ミュータントナイトの開発が終了後、XXミッションⅡの企画が始まったが、SEGAの基盤でシューティングゲームを作らないかと誘われ、エイコムへ移籍することに。

忍者君・阿修羅の章
(グラフィックサポート・FC版制作進行)

画像はFC版

ミュータントナイト
(キャラクターデザイン・敵ロジック)

第1次 フリーランス時代

UPLからエイコムに引き抜かれたのは良いが、プログラマーとの相性の悪さ、開発メンバーの質の悪さなどが影響し、フリーランスのデザイナーとして活動開始
エニックスのパソコン版46億年物語がきっかけでSFC版アクトレイザーの開発に参加
その他、知り合いの立ち上げた会社のグラフィックの手伝いなどを行いました。

46億年物語(PC98版)
(キャラクターデザイン)

アクトレイザー
(アクション・キャラクターデザイン)
(敵ロジック)

ZOOM
(背景デザイン)

アルマニック・ギブロ時代

エニックスのプロデューサー米田氏から誘われ、ゲーム制作チームを作ろうと動いていたら、テクノスジャパンの富山氏が一緒にやりたい!って事になり、会社を作ろう!って「株式会社アルマニック」を立ち上げる。
数年後、テクモの社長から会社名が悪いとか富山氏が言われ、「社名変更しよう!」となり「株式会社ギブロ」に改名

退社するまでの間の開発ゲームには、ほとんど関与しています

CBキャラウォーズ
(企画・ディレクター)
(キャラクターデザイン)

46億年物語(SFC版)
(サポート)

マジンサーガ
(初期企画・サポート)

コンバットライブス(SFC版)
(移植サポート)

紫炎 ザ・ブレイドチェイサー
(企画・ディレクター)
(キャラクターデザイン)

ワンダープロジェクトJ
(サポート)

スーパーマッドチャンプ
(企画サポート)

サイバーブロール
(企画・ディレクター)
(キャラクターデザイン)

クインテット時代

ギブロを退社後、フリーランスしようと思っていたのですが、クインテットからお誘いがありクインテットの開発部長に落ち着きました。
SFCで名声を得たクインテットでしたが、当時のクインテットは、タイトルが乱立しディレクターが不足している状態だったので、声がかかった感じです。
しかし、当時立ち上がっていたタイトルは、開発メンバーが不足していたり、技術不足だったりと問題がありお蔵入りするタイトルがほとんどでした。
そこで、新たな企画を立ち上げ、開発チームを作り上げる事になります。

コードR
(企画・ディレクター・シナリオ)
(キャラクターデザイン・3Dモデリング)

ソロクライシス
(企画)

ゴジラ・ジェネレーションズ
マキシマムインパクト
(企画・ディレクター)

ジャイアント・セブン時代

クインテット、タイトルの評価は高いのだが物が売れない時代。 次第に体力が尽きていく。。。
企画を立ち上げるほど余裕もなくなったので、フリーランスになろうと思っていたら、開発チームのメンバーから、このままやっていきたいと・・・
しょうがないので、開発チームのメンバー数名で会社を興すことに
丁度、ギレンの野望の移植チームを探しているというので、うまく立ち上げる事もでき、移植速度や完成度で評価も上がり、バンダイから続いて強タイトルを頂いたのですが、メインプログラマーの力量不足で開発期間が延びる事で、開発資金が底をつくという負のスパイラルに落ちてしまいました。

機動戦士ガンダム・ギレンの野望
ジオンの系譜(DC版)
(移植ディレクション)

犬夜叉
(企画・デザイン)

プラスターワールド
(企画・デザイン)

第2次 フリーランス

開発期間の延長・発売日延期と犬夜叉のダメージが大きく、会社を維持できなくなったので、2004年フリーランスのデザイナーとして「スタジオ・セブンハウス」を立ち上げる。

この辺りから秘守義務などで色々大変。 タイトルも公表できなくなったりしてきました。

しかし、開発に携わると、ゲーム業界のスタッフの稚拙さに耐えられず、ゲーム業界の仕事は2010年頃から断るようになりました。

そこからは、モデリングに特化し、映画やアニメのモデラー
2017年頃からCADも可能とし、プロダクトデザイン等も行うようになり、現在に至っています。